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御霊水 -八幡大神ご顕現-|八幡神社 宇佐神宮

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御霊水

亀山の麓、菱形池のほとり、三つの霊泉からなる御霊水は、上宮御本殿の真裏(北側)に位置し、往古、常に清水が湧き出で絶えることのない霊泉として知られています。

御霊水

境内に建立されていた弥勒寺の僧、神吽が、鎌倉時代後半に纏めた『八幡宇佐宮御託宣集』には、欽明天皇三十二年(571)辛卯、八幡大明神、筑紫に顕れたまふ。

豊前国宇佐郡厩峯菱形池の間に、鍛冶の翁有り。首甚だ奇異なり。これに因って大神比義(おおがのひぎ)、穀を絶つこと三年、籠居精進して、即ち幣帛を捧げて祈って言く。「若し汝神ならば、我が前に顕るべし」と。即ち三歳の小児と顕れ、竹葉に立ちて宣く。「我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。我が名は、護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりきじんつうだいじざいおうぼさつ)なり。国々所々に、跡を神道に垂れ、初て顕るのみ。」と記され、八幡大神がこの御霊水の辺りに初めてご顕現になったと伝えています。

御霊水

霊泉が湧き出る八幡大神ご顕現のこの聖地は、長い歴史の中で御霊水、御鍛冶場、下井の霊水と呼ばれてきました。

ここを御鍛冶場と呼ぶのは、鍛冶の翁が現れたという故事や、社僧の神息(しんそく)がこの御霊水で社宝の刀「神息」(当神宮宝物館所蔵)を鍛えたという事跡によります。

また下井の霊水と呼ぶのは、江戸中期の公卿鳥丸光胤が「はふり子が 汲む手や涼し神垣の 下井の清水 影も濁らず」と歌に詠んだことからです。

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