この日本で大陸との交易を積極的に押し進めたのは何としても神功皇后さまである。
九州の熊襲をしずめ、その背後にある黄金白銀のかがやく国との交易で神功皇后の外交政策は、文化交流の中での神道史でもある。また神託を中心とした九州の神々の祭りでもある。
そして胎中天皇であった応神天皇が大陸と交易した。その聖徳も高いが、胎中天皇としての奇蹟。そして皇太子になられた3才の童子の姿が八幡大神として崩御261年後にして宇佐の地にあらわれたことは、九州を中心にして神託神仰という「魏志」にある鬼道のような形式のものが、大神比義の神託となつたのであろう。当時の、九州地方がまた、ひろく大和朝廷にも及ぶ『後漢書』や魏志の伝えるように、卑弥呼のような政治と神の祭りが行われていたとすると、八幡の出現の中心人物は大神比義にある。
社伝では、その生まれもわからず。また、死んで白狐となつたと言われている。他に、大三輪の流れであつて大分県と宮崎県境の祖母山を中心にして大神の神婚神話があり、この源は、宮崎県都農にあるらしい。大和の大神の神婚神話と同じものであるが、この大神比義の後裔が、東大寺建立に協力した大神杜女・田麿であり、神託をもって仕えており、ここに、朝鮮半島や大陸から渡来した辛島と秦氏族が加り、こうした神託をなす女祢宜として奉仕したと思われる。

