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来月の行事予定|八幡神社 宇佐神宮

 

仲秋祭(ちゅうしゅうさい)

 奈良時代より明治13(1880)年まで「放生会」と呼ばれていましたが、以後は仲秋祭と名称が変更となりました。

 放生会の起源は古く、養老4(720)年に南九州で起こった、大隅隼人(はやと)の乱に遡ります。

 この隼人族の乱を平定するため、大和朝廷は八幡神へ祈請し、薦枕(こもまくら)を神験(みしるし)として神輿に奉じ、大隅・日向に赴きました。この時の輿が、日本で初めての神輿とされています。

 

 朝廷は八幡大神の御神威により、漸くこれを平定しましたが、その時多くの人命を奪ったことに御心を痛められた八幡神が、罪障の減除と犠牲者の慰霊・鎮魂のため、「毎年放生会を行うように」とお告げになり、その御心のまにまに行われるようになったのが、放生会の始まりです。

 この後、この放生会は生とし生けるものを憐れみ、慈しまれる八幡大神の大御心に添い奉り、全国に広まっていきます。

 

 初日の10月7日、午後1時から上宮での祭典の後、御本殿より御神輿が出御し、宇佐神宮より8キロ離れた和間の浜の海上に建てられた浮殿(和間神社)まで御神幸されます。

 中日の8日には、「蜷饗祭(になあえさい)」(於 西貝神社)、「水神祭」(於 水之江神社)、「塩屋祭」(於 和間神社)の祭典が執り行われ、これら神社で頂く蜷・水・塩を、午前10時に斎行する「仲秋祭」(於 和間神社)に供します。祭典終了後は和間の浜へ行き、神職により禊祓詞と祝詞が奏上され、蜷のアシヅトを開き蜷貝を散供する「放生式」が執り行われます。

 最終日、9日午後1時、和間神社での祭典の後、再び神輿に御動座され、行列を組んで宇佐神宮御本殿へ御還幸されます。

来月の行事予定

仲秋祭 神輿渡御の様子

 

来月の行事予定

仲秋祭 放生式 蜷貝の散供

風除報賽祭(ふうじょほうさいさい)

 毎年8月7日に斎行する「風除祭」で田畑の安全と豊作を祈念、10月20日の「風除報賽祭」では、五穀豊穣の祈念が成就したことを八幡大神に奉告し報賽します。10月19日には御輿掛にて「鉾立神事(ほこたてしんじ)」が斎行されます。

 また、21日の御神能は、本年は特に『能楽殿「松樹の図」他修復工事』竣功後初めての行事となります。

御神能についてはこちら

 

 19日の鉾立神事は、「風神」・「雷神」の絵画等が描かれた、高さ約6mもの3本の笠鉾を立てます。

来月の行事予定

鉾立神事

御輿掛の東側には「風神」、
西側には「雷神」が描かれます。

 

 

 

 

秋季皇霊祭遙拝

「秋季皇霊祭」とは、毎年秋分の日に皇居内の皇霊殿にて斎行される、皇室の祖先祭祀です。この遙拝は伊勢の神宮を始め、全国の神社において斎行されます。

第16回宇佐神楽共演大会

 宇佐神楽保存会主催による、第16回宇佐神楽共演大会が下記日程にて実施されます。

 

【日時】

令和5年9月24日(日)
午前10時45分より午後3時00分(終演予定)

【場所】

宇佐神宮 能楽殿(境内案内図はこちら

【観覧料】

観覧無料

【お問合せ】

一般社団法人 宇佐市観光協会
TEL:0978-37-0202

来月の行事予定

天台宗九州東教区法華懺法

 9月27日午後1時より、ご神前で「法華懺法」が、神職と天台宗九州東教区の僧侶らにより厳修されます。

 この法華懺法は、今よりおよそ1200年前に比叡山延暦寺開祖最澄伝教大師が、渡唐の円満成就祈願と帰朝報告のため2度参拝し、当神宮のご神前で法華経を講じ納経した事跡に由来します。

来月の行事予定

 

新嘗祭(にいなめさい)

 新嘗祭(にいなめさい)とは、毎年11月23日に宮中をはじめ全国の神宮・神社で斎行される、日本の伝統的な祭儀のひとつです。「新」は新穀を「嘗」はご馳走を表し神に新穀をお供えして神の恵みと五穀豊穣を感謝する祭礼です。宮中においては、天皇陛下が新穀を神に献じ、それを自らも食されます。また、天皇の即位後、初めて斎行される新嘗祭を「大嘗祭(だいじょうさい)」と言います(令和元年斎行)。

 

 また、新嘗祭と対をなす祭礼として、毎年2月17日に「祈年祭(きねんさい)」という、その年の豊穣を祈願する祭典があります。

 

 新嘗祭は、「大祭」という最上級の儀礼を以て斎行され、宇佐神宮では衣冠単の「正服」を著装した神職が斎館より上宮へ参進します。参進をする神職の内2名は、通常の神饌とは別にお供えをする稲束を、唐櫃に納め運びます。稲束の他に、氏子崇敬者の皆様方よりご奉納いただいた多くの新米をお供えし、五穀豊穣を八幡大神様にご報告し感謝申し上げます。

来月の行事予定

新嘗祭 参進の様子

 

 

 

 

仲秋祭(ちゅうしゅうさい)

 奈良時代より明治13(1880)年まで「放生会」と呼ばれていましたが、以後は仲秋祭と名称が変更となりました。

 放生会の起源は古く、養老4(720)年に南九州で起こった、大隅隼人(はやと)の乱に遡ります。

 この隼人族の乱を平定するため、大和朝廷は八幡神へ祈請し、薦枕(こもまくら)を神験(みしるし)として神輿に奉じ、大隅・日向に赴きました。この時の輿が、日本で初めての神輿とされています。

 

 朝廷は八幡大神の御神威により、漸くこれを平定しましたが、その時多くの人命を奪ったことに御心を痛められた八幡神が、罪障の減除と犠牲者の慰霊・鎮魂のため、「毎年放生会を行うように」とお告げになり、その御心のまにまに行われるようになったのが、放生会の始まりです。

 この後、この放生会は生とし生けるものを憐れみ、慈しまれる八幡大神の大御心に添い奉り、全国に広まっていきます。

 

 初日の10月7日、午後1時から上宮での祭典の後、御本殿より御神輿が出御し、宇佐神宮より8キロ離れた和間の浜の海上に建てられた浮殿(和間神社)まで御神幸されます。

 中日の8日には、「蜷饗祭(になあえさい)」(於 西貝神社)、「水神祭」(於 水之江神社)、「塩屋祭」(於 和間神社)の祭典が執り行われ、これら神社で頂く蜷・水・塩を、午前10時に斎行する「仲秋祭」(於 和間神社)に供します。祭典終了後は和間の浜へ行き、神職により禊祓詞と祝詞が奏上され、蜷のアシヅトを開き蜷貝を散供する「放生式」が執り行われます。

 最終日、9日午後1時、和間神社での祭典の後、再び神輿に御動座され、行列を組んで宇佐神宮御本殿へ御還幸されます。

来月の行事予定

仲秋祭 神輿渡御の様子

 

来月の行事予定

仲秋祭 放生式 蜷貝の散供

風除報賽祭(ふうじょほうさいさい)

 毎年8月7日に斎行する「風除祭」で田畑の安全と豊作を祈念、10月20日の「風除報賽祭」では、五穀豊穣の祈念が成就したことを八幡大神に奉告し報賽します。10月19日には御輿掛にて「鉾立神事(ほこたてしんじ)」が斎行されます。

 また、21日の御神能は、本年は特に『能楽殿「松樹の図」他修復工事』竣功後初めての行事となります。

御神能についてはこちら

 

 19日の鉾立神事は、「風神」・「雷神」の絵画等が描かれた、高さ約6mもの3本の笠鉾を立てます。

来月の行事予定

鉾立神事

御輿掛の東側には「風神」、
西側には「雷神」が描かれます。

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