現在の本殿は向かって左から一之御殿、二之御殿、三之御殿とならび、二之御殿の前に申殿があり、八幡造りの本殿があるが、823年弘仁14年に三之御殿ができて、この形式になったので、それ以前は、一之御殿と二之御殿が並んでいたとなると、二之御殿の祭神を、八幡さまの妻神と考えられたり、八幡さまとの中をとりもつ女神などと考えられた。すなわち玉依比売(たまよりひめ)とか大宮能売神(おおみやめのかみ)とかいう学者もあったが、社伝では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)素戔嗚尊(すさのうのみこと)のウケヒによってあらわれ、素戔嗚尊の劔を物実(ものざね)とした、三柱の比売大神で、筑紫の宇佐島に天降った神とされている。宇佐の国造らが、奥宮の御許山を中心として祭つたものと伝えられている。そして八幡さまのあらわれる以前の古い神様、地主神であるとされている。
 この国造も高皇産霊尊(たかみむぬびのかみ)から出た天御降命の末裔というので、宇佐島に天降った三神と大きな複線をなしている。神武天皇の東征の折、宇佐にとどまり、国造の妹の宇佐津媛(うさつひめ)と藤原氏の祖である天種子命(あめのたねゆ)との結婚という縁が宇佐神宮が朝廷とを結ぶ要因をなしている。このほか、三女神は道主貴(みちなかのぬん)となって宗像大社や厳島神社などに祭られ、海洋神として神威をあらわされた事も考えなければならない。
 八幡様が宇佐にあらわれるに至つた、いきさつは、三殿ともに脇侍の神のあることである。もちろん、仏教の関係で、こうした脇侍という形式が、おのずから、できたとも思われるが、神威の上からは、重大なことである。一之御殿が春日神社(かすがじんじゃ)、二之御殿が北辰神社(ほくしんじんじゃ)、三之御殿が住吉神社(すみよしじんじゃ)、ということである。この二之御殿の比売大神に北辰の脇寺を祭るということは、仏教的に言えば八正道(はっしょうどう)というような宗教意識の広がりをもつものではないかと思われる。とにかく神代よりまします比売大神は、かくと断定され得ないのである。比売大神の昔より祭祀のあつた宇佐の地に、外交政策になやみ、任那(まみな)が亡ぼされて10年目、欽明天皇の崩御の年に、八幡大神があらわれたことは、現代人にも、何かを指示される点がある。