八幡さまが史書に述べられたのは、聖武天皇天平12年(740)に藤原広嗣が反乱をおこした時に大将軍大野東人に詔して「八幡神」 に祈請せしむと『続日本紀』にある。
また同じく「八幡神社」とか「八幡大神」また宣命には「豊前国宇佐郡に座す広幡の八幡の大神」とある。
宇佐の社伝『八幡宇佐宮御託宣集』等には、八幡様が御出現した欽明天皇32年(571)に「誉田天皇広幡八幡麿」また「我名をば護国霊験威力神通大自在王菩薩」 とも申されており、「護国霊験威力神通大菩薩」の尊号は、光仁天皇天応元年(781)に上る文書にあり、「大自在王菩薩」は、延暦2年(783)にある。「八幡大菩薩」と連称する 様になったのは、延暦17年(798)の官符にみられる。これらのことにより、927年延喜式神明帳には「八幡大菩薩宇佐宮」などと稱えるよび方が定まり、八幡大神から八幡大菩薩になったことも、天台の伝教大師・真言の弘法大師が、宇佐に参拝したことにより、これから の結合が行われたことからであろう。最も天平勝宝元年(749)、奈良の東大寺の大仏の開眼式にのぞむため、八幡神の入京は、大仏の鋳造を助けたという、仏教擁護の社である。 天平10年(738)勅願により弥勒寺が境内に建設され、天平13年(741)には、この八幡神宮に対し、天皇より冠、経文、神馬、僧を奉げられ、また三重の塔が建てられている。
この弥勒寺は、金堂が薬師、講堂が弥勒菩薩であって、その建築様式は薬師寺様式と同じとされている。現社地の亀山に一之御殿が神亀2年 (725)に二之御殿が天平3年(731)に建てられた当時は、八幡神宮であったが、両部神道が平安初期にあらわれてきて、八幡大菩薩となり、 本地が釈迦とされ垂跡が八幡菩薩とされたようである。

