仲秋祭(放生会(ほうじょうえ)

祭典日:10月体育の日、前日、前々日、3日間

 明治以前まで「放生会」と呼ばれていた祭典で、養老4年(720)大隈・ 日向の隼人(はやと)が反乱を起こしたとき、朝廷の祈願により八幡神は託宣を下し、鎮 定のため同5年両国に行幸、3ヵ年にわたって抵抗する隼人を平定して、同7 年御還幸になられた。
 このとき、百人もの隼人の首をもち帰って葬った所が、神宮より西約1キロ の所にある「凶首塚」です。また、すぐ下に「隼人の霊」を祠る百太夫殿が、 その後造立されました。現在の『百体神社』です。
さらに、神亀元年(724)「隼人の霊を慰めるため放生会をすべし」との 託宣があり、天平16年(744)八幡神は和間(わま)の浜に行幸され、(にな)や貝を海 に放つ『放生会』の祭典がとり行われました。これが「放生会」の始まりです。