
宇佐宮弥勒寺の僧神吽により正応3年(1290)から正和2年(1313)に編纂されたものを、応永26年(1419)に豊前の守護大内氏が書き写し、それを奉納したものである。八幡神出現からの歴史がかかれ、宇佐宮の歴史を知る貴重な資料である。県内には奈多八幡宮本、柞原八幡宮本などがある。
宇佐神宮は創祀以来国家の重大事に、遠方では奈良へ、通常では近くの宇佐神宮領内に、また頓宮などへ御出ましになっている。いまは別造の神輿が使用されているが、これは室町将軍足利義持のときの応永27年(1420)頃の御造営がなされた社寺復興のとき、豊前の守護大名大内盛見寄進されたものである。台座及び屋根の各面に大内家の家紋「唐花菱」の装飾金具が付けられている。高さ2・5m、幅1・58mの大型のものである。
この仏絵は、上記の神輿の内襖として使われていたもので、神輿とともに、京都で作成されたものである。画題は法華経の各品から選ばれ、霊鷲山を背景に説法する釈迦如来の姿を描いており、神輿の後側と右側に嵌められていたものである。縦66・7cm、横75・3cm。神仏習合時代を物語る資料として貴重なものである。
神仏習合当時の八幡宇佐宮の境内図で、応永年間(1394〜1428)のものといわれている。上宮、下宮、若宮、弥勒寺、三重塔や初沢の池、頓宮などが彩色で画かれている。縦2m、横2m20cmの大型のものである。